この仕事を選んだ私 心臓血管外科部長 押富 隆
悪ガキに医者を勧めた親父。
我ながら気が強い子供でした。納得いかないと歳上でも喧嘩を売ったり。揉め事の仲裁に入って自分が喧嘩の中心になっていたり。習っていた空手の力試しで土壁殴って穴あけたり。ある日、堪忍袋の緒が切れた親父に引っ張り出されて「どこ行くのかな?」と思ったら、なんと墓地。木にくくりつけられました。夜の墓地にしばらく放置です。先日、実家でこの話をして親父と笑い話になりました。今なら虐待で警察が飛んできそうですけど。それが5歳くらいです。
その頃、親父に「将来、医者はどうだ」と急に言われたことがありました。親父は普通の会社員でしたし、今でも理由はわかりません。悪ガキでしたが、悪いことしているやつを見つけて懲らしめる、みたいな自分なりの正義感はあったので、そのあたりを見ていたのかもしれません。
浪人時代のアルバイトで考える姿勢を学んだ。
中学は軟式テニス部、高校は軟式野球部でしたが、練習がきつかった記憶しかない。学生時代は趣味もなければ何かに一生懸命になることもなく、暇があれば寝てばかり。でもそんな私も「人の役に立つ仕事がしたい」とは考えていました。自分のためだけに勉強したり業績を上げるより、人の役に立ったほうが嬉しい。その頃、人の寿命や死についてもあれこれ考えるようになり、気づくと医師を志していました。
三浪していますが、予備校をサボってほぼバイト。着物屋さんの反物卸、お中元・お歳暮の仕分け、喫茶店のウエイターなど、これが良い経験でした。「注文を取りながら店内のお客さんのコップの水に目を配り、コーヒーが出来上がる頃にマスターに受け取りに行きつつ、次やることを考える」など、いかに効率よく仕事するかを常に考える姿勢が身についた。決まったことをやればよい予備校や大学の授業では学べないことでした。
昔からずっと短距離走タイプ。
医大生になるとバイトも減らして、それまで以上に寝てばかり。その結果、医師国家試験1カ月半前の模試は偏差値35。大学の80名中で下から3番目でした。さすがに焦って、そこからが集中力です。詰め込んで詰め込んで、本番は9割近い点数で合格。要領がいいんです。性格的に、はるか先のゴールへ長い時間かけた作業ができない。子供の頃から短距離走は得意でも長距離走は苦手なタイプでした。専門に心臓血管外科を選んだのも同じ理由です。集中して目の前の患者さんを手術して、成功も失敗もすぐ結果が出る。しかも、成功すれば手術前と同等かそれ以上の生活を患者さんに提供できる。自分に合っていてやりがいもある、天職だと思います。
毎日「やめたい」から「充実感が半端ない」に。
でも医師になった最初は、あまりにきつくて毎日「明日やめよう」と考えていました。朝7時に出勤して、家に帰れるのは40時間後の翌日夜。その間ほぼ不眠不休。あれほど睡眠好きだった自分が寝られない生活に参っていました。
でもずっと集中治療室にいると、ベッドが10台並んでいても、音や気配などで、患者さんの状態がわかるようになってくる。例えば、1人の患者さんの心拍リズムがわずかに変化しただけで「不整脈かも?」と察知できる。そんなふうに自分が役に立ち始めると、だんだん仕事が楽しくなってくる。それが3年目頃からです。
もうそこからはずっと、仕事が楽しい状態が今も続いています。命に関わる仕事なので楽しいという表現は語弊がありますが、救えた時の充実感が半端ないです。外科手術の方法が、以前の開胸から内視鏡、そしてロボット手術へと進化するにつれ、患者さんの回復が目に見えて早くなったのもうれしい。開胸だと術後2週間でもベッドから離れられない人も多かったのが、今は4、5日たてば元気に出歩いているんですから。
仕事が楽しくなれば技術はついてくる。
座右の銘を聞かれると「よく見て、考えろ、考えろ、考えろ」と答えています。例えばエコーやCTなど医療機器の画面を一緒に見ていても、若手と私では得る情報量が違う。画面に出ている数字だけでなく、そこから推察したり他の情報と合わせたりして、新しい気づきにつなげないといけない。機器以外にも、患者さんの歩き方、顔色、姿勢なども重要な情報。呼吸の様子で「右の肺がおかしい」と気付けることもある。質問してくれるのはうれしいけど、質問する前にまず自分でしっかり観察し、考え抜いてほしい。
後輩たちには、技術よりも仕事の楽しみ方を伝えていきたいです。そうすればおのずと技術も上がると思うので。私は毎日スキップするような気分で病院へ来ています(笑)。