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済生会熊本タイムズ

地域に最先端の医療をいち早く提供する当院の取組みや様々な情報をご紹介します。

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この仕事を選んだ私 中央放射線部 技師長 沖川 隆志

 

給食前には粘土遊びはしない。

いまだに母に言われるのが、幼稚園で、粘土遊びを拒否して保育士の先生を困らせていたそうです。当時の私なりに理由はあって、「給食前に手が臭くなるのがイヤ」だった。だから給食後は普通に粘土遊びしていました。意味もなく駄々をこねていたのではないのですが、面倒臭い幼稚園児ですよね(笑)。

機械いじりが好きで、小学生の頃には、将来パイロットになりたいと考えていました。でも中高時代にテレビゲームのしすぎで視力が落ちて「パイロットは無理だな、他の目標を探さなきゃ」となっていました。

身近な人の働く姿に憧れた。

改めて進路に向き合って、まず考えたのが、叔父がしていた自動車の営業でした。マイカーを買うって、今では大きなイベントではないかもしれませんが、当時は大変なことだった。「どこへドライブ行く?」などと夢を描きながら、納車日を家族みんなで指折り数えて待って、当日はご近所も集まる大騒ぎ。そんな話を叔父から聞いて、幸せをプロデュースする良い仕事だな、と。

次に考えたのが、実家のクリーニング店を継ぐこと。子供のころ熊本で大洪水があったとき、泥だらけで他店が断っていたものも親父は引き受けて、寝る間も惜しんできれいにしていた。当時の衣類は、先祖伝来とか、家族の想い出が詰まっているとか、簡単に捨てられない大切なものが多かった。そんな洗い物の山の中で奮闘する姿を見て、カッコいいな、と。

普通の人が動かせないものを動かす。

でも、叔父も親父も「自分たちの仕事は勧めない。他にないか?」と言ってくる。それで見つけたのが放射線技師でした。看護学校で学んでいた姉から「息を吸って止めて、ハイ、みたいな楽そうな仕事があるわよ」って教えられて(笑)。調べてみると、診断や治療に使うX線を管理する仕事で、医療だけでなく原子力発電所などでも働けることがわかりました。

ここで機械好きの血が騒ぎました。専門的な知識を駆使して、CTスキャンや原子力発電所など、普通の人が動かせないものを動かす仕事。面白そう!と。自分の中で道筋が見えた気がしました。親父に相談すると「これからは資格の時代。手に職もつくし良いじゃないか」と賛成してくれて。「お前はクリーニングよりクリニックをめざせ」というダジャレが忘れられません(笑)。

手術に不可欠な正確な画像を映し出す仕事。

大学時代は勉強やアルバイトの傍ら、ダンパ(ダンスパーティ)に顔を出すことも。当時、熊本にも「マハラジャ」があって、学生でディスコを貸し切ったり。肩パットが入ったボディコンの女性だらけの時代でした。

そんな学生生活を楽しみながら、診療放射線を学び、この病院で働いて30年近くになります。良い先輩や後輩に恵まれ、楽しくやってこれました。自分たちが扱う医療機器というのが、MRIやCTスキャンをはじめ、日進月歩の分野で、そのアップデートや勉強が大変ですがやりがいもあって。

私たち放射線技師には、“お客さん”が2人います。1人はもちろん患者さん。患者さんの治療のための検査ですから。そしてもう1人は医師です。医師は手術前に、私たちが検査した画像を見て準備するので、「画像が正確で、シミュレーション通りに手術できたよ」と言われると、嬉しい。機械なので誰がやっても同じでは?と言われたりもしますが、そんなことはない。短時間で正確な画像を映し出す技術が必要です。そして、がん検査なら「がんが見つかりませんように」と願いつつ、同時に「がんがあるならちゃんと見つけないと」という使命感も伴う。そういう仕事です。

仕事は違っても親父の背中を見ていた。

4年前から働きながら大学院に通い始め、職場と家族の協力のおかげで修了しました。通った理由は、論文を国際学会で発表した際、博士号の有無で、評価に差が出ると感じたから。特に海外でその傾向が顕著で、学位でカテゴリーさえも事前に分けられる。悔しいじゃないですか。ここを打開したかった。

ずっと変わらない、仕事する上での信念があります。それは「断らない」こと。どんな仕事も引き受けますし、この病院のポリシーである「断らない救急」とも重なる。そしてその原点は、クリーニング店は継ぎませんでしたが、親父がどんな依頼も断らず仕事していた姿にあったのかな、と思います。

 

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