「人生会議」を開こう。-誰にも訪れる”最期の迎え方”を考えておく-
「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉をご存知ですか?これは、もしもの時のために自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療、ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと。これをしておかないと、望まない最期を迎えたり、家族や医療機関が困ってしまう可能性があるのです。今回は、救急の現場で働く医師、患者さんの入院~転退院などに関わる看護師と、人生会議の啓発活動を行う、にしくまもと病院の林名誉院長にもご参加いただき、その重要性や課題について考えます。
「穏やかに最後を迎えたい」と考える人のほうが多いが…
具嶋まず何より、「患者さんが望む医療を提供したい」という思いが基本にあります。通常なら、何を望むかは患者さんに聞けばわかりますが、搬送時点で意識がなかったり、認知症等で意思を表明できないことも珍しくありません。ご本人の代わりにご家族に聞いても、急なことで心の準備ができておらず、判断が難しかったり。
それで救命のために手を尽くした結果、「果たしてこれが、患者さんが望んだ最期だったのだろうか」という場面に直面することも。「延命よりも、安らかに送り出せることのほうが大事だったのでは」という気持ちになります。
患者さんによって「最大限手を尽くしてほしい」方から「何もしないで」という方まで、さまざまだと思いますし、それで構わない。「どんな治療を望むか」がわかれば、治療方針も変わると思うのです。
林誰もが必ず死を迎えます。だから、自分の最期の迎え方について、考えていてほしいのです。
具嶋「人生の最後でどのような医療を受けたいか」という調査では、「延命治療は望まない」と答える方が多い。できるだけ安らかな最期を求めている、ということです。にも関わらず、多くの人が実際に最期を迎えるときには、”さまざまな理由”で希望通りの迎え方をできていないケースが多いようなのです。
書面に残しておくことの大切さ。
林希望が叶えられない”さまざまな理由”とは何なのか。最大のものは「意志を事前に伝え残していない」ことです。人の生死に関わることなので、「言っていた気がする」「聞いたことがある」では効力がない。きちんと話し合って書面で残しておかないと、病院としては延命措置をせざるを得ないのです。
濱どんな書面で残しておけばよいのかといえば、これという決まった形式はありません。ただし書き込みやすいよう、自治体などが用意している書式がいくつかあります。熊本市が作成した「メッセージノート」や、当院が作成した「事前指定書」などがそれです。
「人生の最期を迎えたい場所はどこか」「口から食べられなくなったとき、鼻から管を入れるなどして栄養を摂るか、自然に委ねるか」「もし呼吸が止まったとき、人工呼吸器を望むか」「心臓が止まったとき、心臓マッサージを望むか」など、質問に具体的に答える形で意思を示せるようになっています。
具嶋一人で黙々と考えて書くよりは、家族や友人などと相談しながら書くのが良いと思います。この「相談」のことを、「人生会議」と呼んでいます。そして書き終えたら、その相談した相手など、信頼できる人に託す。書いただけで引き出しの中で眠らせていては、万一のときに意思が伝わらず、意味がありません。
林まずはメッセージノートや事前指定書を、役所や病院でもらったり、ネットでダウンロードするなどして、目を通してもらいたい。こういう準備が必要なのか、ということがわかると思います。
そして書けるところだけでも書いてみてほしい。一度書いたらもう変えられない、ではなく、考えが変われば何度でも書き直せばいいですし、人生が進むに連れて価値観や境遇は変化するものなので、むしろ更新していくのが望ましいです。
上の画像にカーソルをあてると済生会熊本病院の「事前指定書」をダウンロードできます。
上の画像にカーソルをあてると熊本市の「メッセージノート」をダウンロードできます。
延命とはどういうことか。
具嶋人生会議に不可欠なのが、延命措置についての理解です。「延命措置を望む」と答えるには、「延命措置を施すとどうなるのか」を分かっている必要があるからです。
延命措置は延命治療と呼ばれることもありますが、治す行為ではなく、「延命」という名のとおり、目的が「命が絶えそうな患者さんの命を一時的に延ばす」ことなので、「苦しみや痛みを取り除く」ことではありません。
「命を延ばす」ために「苦しみや痛みが伴う」ことも、しばしばあります。例えば、心臓マッサージをすることで肋骨が折れて胸が変形することもあります。
林このようなことは、詳しく説明されてようやく分かることです。だから理想の「人生会議」は、例えばかかりつけ医など、説明したり質問に答えられる医療関係者も参加することがベストです。
私も講演などでは説明だけでなく「実際に今ここで書いてみましょう」と配って、時間が許せば、その場で質問を受けながら書いてもらうようにしています。
元気な時でないと死について話しにくい。
具嶋ここまで、「人生会議を開きましょう。それを書面に残しましょう」というお話をしました。しかし、その話をひっくり返すわけではないですが、実際は簡単ではないと考えています。
やっぱり、例えば高齢になった親に対して、「最期の場所はどこで迎えたい?延命治療はどうする?」などの話はしづらいでしょう。「私が死ぬのを待ってるの?」と怒られるかもしれない。逆のパターンで、親から娘に「自分が死ぬ時はこうしたい」という話をしたら、「縁起でもない!長生きしてよ!」と叱られた人もいます。
林日本人は、死を穢(けが)れと考える”死生観” があって、死について触れたり語ったりすること自体を避けたがる傾向があるようです。お葬式の後にお清めの塩を振ったりするのも、まさにその現れだと思います。
この「話しにくい・触れにくい」という課題はなかなか解決が難しいですが、「早めに話をしておく」ことで、だいぶハードルが下がると思います。 人生会議をするタイミングには3つの段階があると考えています。第一段階は健康な状態、または持病があっても安定している状態のとき。第二段階は、病院や福祉施設などに入るか、介護の申請をしたとき。つまり自宅で通常の生活が難しくなったタイミングです。そして第三段階が、いよいよ最終段階になったときです。
現状、日本人の多くはこの第三段階になって、初めて死を意識した準備を考え始めます。この段階で人生会議をしようとしても、すでに死が生々しく、触れにくい状態になっていると思います。
そうではなく、もっと早く元気な段階、できれば第一段階で話し合っておければ、「触れにくい」という空気は少ないのでは、と思います。
濱当院に入院したり救急搬送された患者さんやご家族には、急変時の要望を伺っていますが、それが「人生で初めての、最期をどうしたいか考えるきっかけ」になっているようです。その時は急なことで落ち着いて考えられなかった方も、当院での治療を終えて転院・退院された後だと、関心や意識も高まっていると思うので、改めてゆっくり考える機会にしてもらいたいですね。
実際に、退院時にお渡しした事前指定書がきっかけで人生会議を開き、在宅で穏やかに最期を迎えられた方もいます。
「命を少しでも延ばすこと」が答えとは限らない。
林私たち医療関係者も、これまで「医療人の使命は、患者さんの命を1分1秒でも延ばすこと」という意識があったと思います。今でもそう考えている医療関係者や、マスコミや一般の皆さんも多いのではないでしょうか。でもそれが、必ずしも唯一の答えではないと思います。
具嶋「むやみな延命措置はしない」と言うと、「延ばせるはずの命を縮める」とネガティブな捉え方をされてしまうことがあります。
濱自然に逆らって、無益な延命措置をして苦しんで死ぬより、苦しみや痛みは取り除いてあげつつ自然に最期を迎える、「平穏死」という選択を知ってもらいたいです。
具嶋逆に、ご家族から「延命は必要ないです」とお話があっても、私たちから「回復の見込みがあるのでやりましょう」と説得することもあります。同じ医療行為でも、結果によって、延命措置になるか、通常の治療になるかが変わるケースです。
在宅医療という選択を知ってほしい。
具嶋この「平穏死」を実現するための、とても重要なピースが、在宅医療です。自宅だから医療行為を何もしない、ということではなく、痛みや苦しみを取り除くなど必要な行為はきちんと行われます。住み慣れた環境で、穏やかに最期を迎えられます。いわば”平穏な看取り”です。
濱私のような退院支援看護師やソーシャルワーカー、かかりつけ医、訪問診療医、訪問看護師などが連携して支えています。
残された時間の過ごし方として、在宅医療は有効な選択肢だと思うので、入院と在宅医療、それぞれのメリット、デメリットを具体的にご説明するようにしています。もっと多くの方に知ってもらいたいです。
林在宅医療を担う医師や看護師等がまだ少なく、質の良い在宅での療養を支える、医療・介護・福祉や行政等との連携体制の整備が必要だと思います。
具嶋この在宅医療を実際に利用されている方でも、いざ最期を迎えると、家族が動転して救急車を呼んでしまうケースがあります。「何とかしないと」という気持ちになってしまうのだと思います。救急車を呼んだ時点で目的は延命なので、ご本人の意思に沿わない延命治療をしてしまうことも少なくありません。
コロナも意識の変化を生んでいる。
濱日本では、看取りの場面に家族がいるのが当たり前だった。それがコロナで難しくなって、ご家族が身内の「死」を考える意識が変わってきたように感じます。
林必ずしも最期に立ち会えるとは限らなくなったぶん、前もって話しておかないと、考えておかないと、という意識が少しずつですが高まっているように感じます。
具嶋「終活」といった言葉も耳にするようになり、「死」について考える機会が増えたのではないでしょうか。でも、救急医療の現場にいて、事前に意思表示している患者さんはまだまだ少ない。人生会議がもっと普及し、望む最期を迎えられる患者さんが増えることを心から願います。