この仕事を選んだ私 栄養部 臨床栄養室 主任 宇治野 智代
元気で、丈夫で、度胸満点。
風邪ひとつひかず、とにかく元気で丈夫な子供でした。いまでこそ病院で働いていますが、記憶の限り、自分のことで病院のお世話になったのは成人してから。だからこそ逆に病院に憧れがあったのかもしれません。
度胸も人一倍でした。3歳の頃、家族で大きな船に乗ったとき。ショーを見ていて、歌手の方が「この曲を知ってる方、歌いましょう」と言ったのを聞いて、「一緒に歌っていいんだ!」と親が止めるのが間に合わないほど一目散にステージに駆け上がり、大きな声で熱唱していました。まだモジモジと人見知りしがちな年齢のはずなのに、私は人前に出るのが大好きで、いつも家族を驚かせていました。
その度胸を買われて、中学のバレー部では「お前は必ずサービスエースが取れるから」とピンチサーバー役に。プレッシャーに強いので、ここぞという場面で決められたんです。でも言い換えれば、先発するほど上手ではないということで、いつしか自分がプレイするより人を支える側にまわろう、と考えるようになりました。
大学案内で管理栄養士に出会った。
進路を考えていた時、大学案内をたくさん読んで「これだ!」と思ったのが、いまの仕事である管理栄養士でした。食べて元気になるのをサポートする仕事って素敵だな、と。さっそく母に相談すると「いいんじゃない。調理師の免許まで取れたらいいね」と、しっかり者の母らしいアドバイス。その通り、大学時代は飲食店でアルバイトをして、卒業時には管理栄養士の資格に加えて、調理師免許も取得していました。
直接、患者さんを診る。
私が病院で勤務を始めた当初は、私たち管理栄養士は医師や看護師から依頼のあった食事オーダーや栄養指導を、そのとおりに実行するのが仕事でした。どちらかというと受動的な仕事でした。
その後、2013年にJCIという医療機関の国際的な評価認証の取得をきっかけに、仕事の内容が大きく変わりました。管理栄養士の役割を拡大することになり、病棟に常駐するようになりました。カルテの情報だけでなく、管理栄養士が自分の目で直接患者さんを診て、考えて、栄養を提案しています。必要と判断すれば聴診器も使いますが、腸の動きを確認するためなので、胸ではなくお腹にあてます。私たちが聴診器を取り出すと、最初は「どうしたの?」と驚かれました(笑)。仕事内容が以前と比べて能動的なものに変わりました。
多くの職種とそのつど話し合う。
この病院にはさまざまな病棟がありますが、その中でも私は脳卒中センター、救命救急HCU、消化器外科病棟を経て現在はICU(集中治療室)と、おもに救急の現場で勤務してきました。ICUではいわゆる「食事」だけでなく、口から食べることが難しい患者さんに対しては鼻からチューブを挿入して、そこから胃や腸に投与する「栄養」も管理しています。
ICUでは患者さんの容態が変わりやすいので、栄養プランを立てても計画どおりにいかないこともしばしば。そのため臨機応変な対応が求められるので、医師、看護師、薬剤師など多くの職種との緊密なコミュニケーションが必要になります。でも職種によって役割や視点が違うので、例えば医師は治療を考えて「もう少しスピードを上げて栄養量を増やそう」という意見でも、私は管理栄養士として患者さんのお腹の状態を考えて「ゆっくり1時間かけて20㎖投与した方が良い」と考えることもある。そんなとき、そのつど話し合って、患者さんにとって最も良い方法を探ります。管理栄養士は「話を聞く力」がとても重要な仕事だと感じています。
予想以上に自分に向いている。
いま、管理栄養士はそれぞれの病棟で仕事をしています。だからこそ、「栄養部」というひとつのチームだということを意識しています。学生時代の部活で仲間やチームワークのありがたさ、大切さを人一倍実感しているので、仕事でもチームとしてのコミュニケーションを大切にしています。
管理栄養士が病棟に初めて常駐するときは勇気がいると思います。でも私は物怖じしない性格が功を奏してか、前向きに取り組むことができています。「予想以上に自分に向いている仕事だな」と感じながら働いています。