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1.AIの作る価値と人間の作る価値

 元通産官僚で1970年の大阪国際万博を取り仕切った作家、堺屋太一が書いた「知価革命」が出版されたのが1985年で、当時、情報には門外漢だった私も情報の未来について興味深く読んだ。今まではモノづくりが主流だったが、これからは情報がより大きな価値を生み出し産業の主体になる、つまり工業化社会から情報化社会へという未来予測は、2000年から四半世紀が過ぎようとする現在、見事に的中している。鉄鋼や車、半導体などもなくなることはないが、次の時代を見据えると良し悪しは別として情報から得られる知価が現代の経済、ひいては社会をけん引しているのは間違いない。事実、アメリカ経済をけん引しているのはもはやモノではなく今やGAFAと言われる情報系産業だ。ウクライナに大量の戦車や艦船を投入したロシアだが、結局さまざまな情報を統合して解析し、ネットワークで共有して戦うウクライナには勝てないのではないだろうか。

 知価を実感させるChat-GPTが現れたのがまだ記憶に新しい2022年の11月で、その衝撃は凄まじく、その後、一気に生成AIの開発が加速した。最近現れたGPT-4oにいたっては生身の人間とほぼ同様、あるいはそれ以上のレスポンスを実現している。これをみるとAIがさらに別のAIを生成し、それぞれ統合していくことによってさらに能力を高め、従来いわれていたコンピューターが人間の能力を超える転換点、シンギュラリティも近いのではと思わせる。まさに情報革命が新しいフェーズに入り、旧来の考え方ややり方を一掃してしまう可能性が高い。もちろん様々な発明同様、初期は既得権的なテクノロジーから批判や妨害をうけるだろうが、社会全体がこの革命の価値を受け入れざるを得ないだろう。二酸化炭素を減らす手段としてまだまだ未完成である原子力発電のように。

 人間は常により良い世界を目指して科学を発達させ、技術を磨いてきた。原子力と並んで、遺伝子工学が社会のありようを変えてきたが、これに加えて情報が更なる価値を生み出す原動力としていよいよ意味を持ち始めた。原子力も遺伝子も使い様によっては負の側面が大きく出てくる。情報も然りで今後様々な分野で多様な議論が沸き起こるだろう。ここで問われるのは常に倫理である。研究を始める時に倫理審査を通したかが問われるが、些末な議論が多くときに嫌がらせ的でもある。私が問いたいのはこうした実験手法や技術の倫理的な議論だけでなく、この実験でどういった倫理的危機が起こるかを倫理委員会側からも提示して欲しいのである。それによって、すべての科学技術に存在する表裏を明確にし、何をやるべきで何をやるべきではないのかといった本質的な倫理議論が交わされ、新たなコンセプトが生まれることを期待したいのだ。遺伝子学にまつわる優性法の議論をたどると、遺伝子の話を軽々に社会学に応用すべきでないことがわかる。今現在も、われわれはさまざまな偏見と言うバイアスの世界に身を置いているが、科学の生み出す価値、その応用が生み出す弊害を十分に考え抜く必要があろう。AIによる判断とそれが生み出すかもしれない倫理的議論は時にこうした高度の形而上学的命題にある種の解を与えるかもしれない。 
 
 AIが課題に対し即座に適切な回答をする、あるいは高度な芸術作品でさえ作り上げ、長編小説すら書き上げるだろう。このような絶対神が存在する世界ができたときにわれわれはどう対応したらよいのだろうか。宗教に頼ると言ってももはや神に近いAIは殆どの問題に正解をくれるかもしれない。どんな優れた演奏者の芸もAIが難なくやってのける世界。機械より上位に存在するという自負が人間の核心的な価値と信じて疑わなかったのだがこれも揺らぎ始めているかもしれない。

 先日、久しぶりにコンサートへ行く機会があった。素晴らしい演奏もあり、並みの演奏もあり、小さなミスもあったが、演奏者と聴衆の間の緊張感と親近感がたまらなく楽しい。CDはいつ聞いても立派で完璧な音を出してくれるが、“演奏”ではない。正確な音が機械的に生成され、見事な模倣が行われ、聴衆は聴覚を刺激され聴きいるが、繰り返し聞くたびに“音の消費”となって聞き流される。かつて王侯貴族しか耳にすることができなかった音楽も今や2000円のCDで消費されている。これが20世紀的音楽の価値だった。21世紀にはAIにこんな気分で演奏してくれと言えば、そんな感じでギターを弾くだろう。でもちょっと待てよ。弾いているのはAIという無人称だが、聞いているのは生身の自分だ。疑似的コミュニケーションで唯一、つながっている関係って何だろう。

 音楽で言えば21世紀にはライブミュージックの世界が今日的人間存在を示すものになろう。演奏も人間、聞くほうも人間でかつ相互に聴衆だったり演奏者だったりの緊張感とワクワク感。AIに唯一、対峙できるのは「自分でやって楽しむ精神」かもしれない。自分で弾いている限りにおいて、下手でも別に構わない。AIが何でもやってくれる世界の対極に自分で何でもやる世界があり、これからはこうした世界が楽しめるのではないだろうか。AIがなんでも上手にやってくれ手本になるが、自分でやることに楽しみを見出す世界にさらに大きな価値を見出すようになるかもしれない。習い事やひとりキャンプなどAIが仕事をしてくれる分、余暇をこうしたことをして人生を楽しんではどうだろうか。

医療情報調査分析研究所所長 副島秀久

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